自分が死にかけようが親はいつでも我が子が心配なのだ。

先日、母が転院した。

くも膜下出血で倒れて瀕死の重体から回復して約2か月入院した。

2度の手術も行い、これ以上治療することがないのでリハビリの病院に移ることになった。

1か月前は頷くだけでまともに話すことも出来なかったが、しゃべれるようになり、笑うようになった。正直、ここまで回復するとは思わなかった。


転院の話があった頃は、まだ食べることもできないし、トイレもいけない状態でした。

だから、僕や弟が来ると必ず「トイレに連れていけ」というのだ。

トイレに行きたくても行けず、オムツを履いてはいるがベットで寝たままするのは嫌なのだ。

経験はないが、その気持ちはわかる。

でも、病院なので毎度、毎度は看護師さんは対応はしてくれない。

快復していき、それが徐々に不満になってきた。


そんな時に、すぐリハビリ病院の転院が決まった。

そこは、回復期リハビリテーション。リハビリをみっちり行い、できるだけ自力でできるようにすること。だから、トイレも毎回連れて行ってくれ、自力でできるように練習するし、自力で歩ける訓練もするのだ。

ちょうど母も入院生活が不満になってきていたのでタイミングが良かった。


転院当日、僕は会社を午前だけ休み病院へ行った。介護タクシーを手配し同行してリハビリテーション病院へ行き、弟は退院手続きをして後で来るという役割分担にした。


介護タクシーが来るのを待つ間、僕と弟は母のいる病室に居た。

母には「これからリハビリ病院に移るから、ここでの入院生活は終わるよ」と告げると

母は僕にか細い声でこう言った。

「ここではいろいろあった。トイレもいけないし。誰が優しいか、そうじゃないかもよくわかる。弟の嫁さんにどうかなとか見てたよ。」と


「えっ!?」「そんな事考えていたの?」と僕は爆笑。

つられて母も笑い、弟は苦笑い。


弟は僕の1つ下で独身なんです。

死にかけて入院していたにも関わらず、我が息子のことを心配していたのだ。

どんな時でも母親は母親なんだ。


ちなみに、僕も京都で仕事をしていて名古屋に戻った時、

「今、彼女がいないのなら裏の銀行の受付の娘はいい子だから電話しなさい」と

その人の名刺を差し出し、そこには携帯番号が書かれていたのだ。

昔から母はそういうことをしていた。

後で聞いたのだが、弟の場合はもっと酷く

母は、町で歩いている知らない女性の人に、うちの息子の嫁にどうかと話しかけていたらしい。(笑)


木の上に立って我が子を心配しながら見ているから「親」と書く。

誰か弟に良い人はいないのか?(笑)