ききわけのない 女の頬を
ひとつふたつ はりたおして
背中を向けて 煙草をすえば
それで何もいうことはない
ボギー ボギー
あんたの時代はよかった
男がピカピカの キザでいられた
沢田研二さんの「カサブランカ ダンディ」という歌の歌詞の一部です。
作詞は今年亡くなった阿久悠さん。
沢田研二さんは歌いながらウィスキーの瓶を飲み、霧吹きするパフォーマンスで有名な歌。
当時、僕もそうだったが、多くの人が真似をしていた。
父が癌で亡くなった2週間前に母がくも膜下出血で倒れ、約2か月も昏睡状態だったがその1か月後はリハビリ病院に移り、今は歩行車や杖で歩けるようになり老人ホームに居る。
その母が、来月には退所して実家に戻ってくるのだ。
実家は弟が住んでおり、母が安全で暮らせるように家の片づけをしないといけないので今日、実家に行って大掃除をしてきた。
始めに言っておくと、我が家は”捨てられない”人たちが多い家族。
僕が結婚した後に、僕が育った家から引っ越した。父、母、弟、祖父が当時住んでいた。
父が死んだ時、母は昏睡状態で会話も出来ず、通帳、印鑑、保険証書など何処にあるのかわからない状態で弟と探しまくった。その時にいろんな場所からいろんなものが出てくる出てくる。
あまりにもごちゃごちゃし過ぎて1日では探せなく、数日かかったぐらいだった。
で、今日は片付ける場所を絞った。祖父の部屋だ。祖父が亡くなってからはその部屋は物置になっていた。そこをキレイにして母の寝室にしようと考えていた。
そこにあるモノのほとんどを捨てるつもりだったが、弟も我が家特徴の”捨てられない人”だ。
「いや、それは・・・」
「使わへんやろ!」という会話は何度も。。。
どんどん捨てていくと、懐かしいモノが出てきた。
8ミリカメラとフィルムだ。
カメラ好きな父は当時、僕らが幼児の頃を8ミリで記録していた。
ビデオカメラがない時代。当時は映画のような8ミリカメラで撮り、映写機で映し出して家族で観ていた。あっ、音はなく、しかも白黒。
フジカシングル-8。富士フィルムのカメラだ。
ネットで調べたら、DVDにダビングできるサービスがあった。
マジかっ!何が撮ってあるのか観てみたい。
祖父の写真やら父の写真も出てきた。若い父は僕や弟に似ていた。
そして、アルバムの横にはレコード盤があった。
加山雄三、なんかの民謡、
そして、
沢田研二っ!
「勝手にしやがれ」は僕が初めて自分のお小遣いで買ったレコードだ。
歌の途中で帽子を投げるパフォーマンスが印象的だ。
これもよく、真似したなぁ~。ドラゴンズの帽子で(笑)
あと、他にも複数のレコード盤があったが、「島田奈美」が思い出せなかった。
当時好きだったアイドルは中森明菜だった。
で、島田奈美も調べたら、出てきた。
当時、西村知美、杉浦幸と共に「桃組3人娘」と呼ばれモモコクラブというのがあった。
でも僕はファンではない。弟か?
島田さんは今は島田奈央子として音楽ライターやDJをしているらしい。
という事でこれらのレコード盤は捨てられず、持って帰った。
僕も”捨てられない”一族である。
祖父の部屋はある程度きれいになったので、車庫の隣にある倉庫を見てみたら・・・
洗剤やら調味料のストックがぞくぞくと・・・
ボディソープの詰め替え用が・・・
お店かっ!
洗剤も醤油、みりん、油、ソースもどんだけ~という数。
落ち込みチラシの特売に買ってはストックし、また特売したら買い・・・
安い時に買わないと・・・という気持ちだろうが
数週間後にはまた特売をするのに。
これはオイルショックなどを経験した昭和初期の人の性なのか?
いろんなダンボールの中をみるのが面白くなり、
こんなのも出来てきた。
お酒のミニボトル。
昔の実家の応接室に並べてあったヤツ。引越し後、段ボールに入れたままだった。
これを持って「カサブランカ ダンディ」でも歌うか。(笑)
僕の習字道具も出てきた。
調味料等の1/3は賞味期限切れで廃棄、1/3は僕がもらい、1/3はこのまま実家に。でもまた倉庫に置いておくと忘れ去られるような気がするので、片付けた祖父の部屋の棚に並べて「見える化」にしておいた。
まだこれで終わったわけではなく、倉庫にはまだまだ未知の箱があるが今日はこれにて終了!
さて、見つけたレコードの他は、
「およげ!たいやきくん」
「ゴレンジャー」
そして
勇者ライディーン
コンバトラーV
さっそく、プレイヤーで聞いたが、今でも歌えるのが驚きだ。
♪ボギー ボギー あんたの時代はよかった~
歌はすぐにタイムスリップさせてくれる。
実家はのび太の引き出しの中のタイムマシンのようだった。
0コメント